T調

さまよいながらじぶんなりにととのえる


1年を生き切る

27年前、50歳になった誕生月に父はこの世を去った。今日は命日。
もっと同じ時間を過ごしたかったと思う。
先日、26年を経て容疑者が逮捕された殺人事件の被害者遺族・高羽悟さんの、
「妻がどういう最期だったか、夫として知る義務がある」というコメントが報道された。
わたしも父の晩年や当時のことを知りたいという気持ちが消えず共感した。すい臓がんを患い手術後2年での急逝。年に一度くらいしか会えなかったし、もちろん最期にも立ち会えなかった。今でも父の知り合いに会って、少しでも思い出を話してもらえた時は、とても嬉しい。
そんな折、昔の市報さがに父の寄稿を見つけた。一市民としての42歳頃の文章。くせのあるものや手を動かすことへの愛着はDNA?応援してもらっているようにも思える。
来年、父の年齢に到達する。ただ漫然と過ごしてはいけない気がする。この1年を生き切りたい。

兄妹

 兄が私の家のそばまで来たので、預かってた物を渡した。二人とも夕食がまだだったので、一緒にラーメンを食べた。用事はそれだけで済んだのだが、話がしたかったのか、兄はまだ帰る気配がなかった。それで、なぜかラーメン屋の後にマックに入り、二人でシェイクを飲んだ。 二人で顔を向かい合わせてしゃべるなんて、昔の私たちでは考えられなかった。小・中学生の頃は兄にはよく虐められ、殴ったり蹴られたりもした。私も兄もお互いのことが嫌いだった。 でも、こうして年を取ると穏やかな気持ちになるのか、いつのまにか普通に接するようになった。ただ今でも落ち着かない雰囲気は残っているが・・・。あんなに憎みあってた二人が今はこうして談笑してるなんて、気持ち悪い、とも思うのだ。 何はともあれ、正常なコミュニケーションをとれるようになったのは嬉しいことである。

第6日目

 今日は故郷を発つ日だ。今回はわりと長く滞在できたけど、思ったよりも忙しくてあっという間に6日間が過ぎてしまった。 母に別れを告げ、高速バスで福岡まで向かった。 福岡では知り合いと前から約束していたので、飛行機の時間まで福岡をドライブした。海の中道に行ったが、天気が良すぎて日差しも強く、日射病になるかと思った。でも、関東のような蒸し暑さがあまりないのでその点では快適だと思われる。  飛行機に乗り、一人になると物思いにふけった。今はまだ元気な母の事。いつまで私は故郷と関東の往復を続けるのだろう。このまま遠くで暮らしていてよいのだろうか。母は本気で私に帰って来いと言ったことはないが、心の中では戻ってきてほしいと思っているんだろうなあ。でも私は・・・。

第5日目

 母と母の友人と一緒に「清水の滝」に行った。なぜかこのごろ滝に行くことが多い。もっとも今回は昼間だったから、透き通る清流を拝めたのだが。 滝の近くには鯉料理の店が並んでいて、私たちは「滝見屋」というお店で昼食をとった。鯉を食べるのは初めてだったのでちょっと抵抗があった。鯉のあらいはみそだれで食べると少し臭みがあるように感じられたが、ゆず胡椒をたくさんいれて、まあおいしく食べられた。醤油につけて食べると海魚の刺身のようで、食べやすかった。鯉こくは私好みの味噌汁で、とてもおいしくて何度もおかわりした。  夕方、父の墓参りに行った。もうすぐ2回目の盆が来る。父のことは完全に過去の思い出と化したかというと、そうではない。やはりこの思い出深い故郷に帰ってくると、父もふっと私の前に現れそうな気がして、時々つらい。墓前で手を合わせて父の顔が鮮明に浮かんでくるうちは、ずっとこんな思いでいることだろう。

兄弟

 ずっと 別々に暮らしていても ふとした瞬間 心が通じ合うことがある  同じ血が流れていることを嬉しく思う瞬間

 町田に住んでいる兄と久々に話をした。兄とは年に3〜4回ほどしか話さない。お互い,ちょっとしたことでは連絡をとらない性格なのだ。今回は私の方から電話した。「夏は実家に帰るの?帰るんだったらいつ頃になりそう?」と。兄は今夏は帰らないそうだ。冬に長く帰っていたし,8月は仕事があるから,と言っていた。でも実家に持って帰ってほしいものがあるので,私が帰省する前に一度会おうということだった。そんな感じで私たちは電話を終えた。兄弟では多くを語らない。でもこんな風に声を聞くとなんだか安心する。