T調

さまよいながらじぶんなりにととのえる


横浜にて

 小さなテーブルを囲んだ瞬間、長い時の隔たりも消し去られ、大切な人たちとの大切な時間が始まる。今日はちょっと幸せ気分。仲間との再会がこんなにもいとおしい。 去年結婚した彼は、愛について語りだした。 結婚は長い長い人生を共に過ごしていくのだからそれなりの覚悟を持ちつづけなくちゃ、と思っていた。しかし、彼には別にそんな気負いは見られない。ただ当たり前に、妻を、家庭を大切にするのだ。長い長い人生の中で、恋だってするときもあるだろう。しかし、夢は夢。夢を現実にしようと思った時点で崩れてしまうものだ。 ただ当たり前のように愛する。そこには責任や思いやりといった難しい問題はなく、その人の気持ちそのものなんだ。 自然に、素直に人のことを愛せるかな。私もきっと。  

歩く

 都会の人はよく歩く。駅から徒歩20〜30分の所に住んでいる人でも、バスも自転車も使わずに歩いて通う人が結構いる。買い物に行ったり、遊園地に行ったりしても、みんなよく歩く。たとえば、ランドマークに行って地上階から最上階まで見尽くしたあと、クイーンズスクエアをくまなくまわって、それからワールドポーターズに行った後、さらに海岸通まで歩いていくといった感じだ。 私の田舎ではどこに出かけるにしても必ず自転車やバイク、車を使う。駅までどんなに近かろうと、歩いて通う人なんてめったにいない。  昔は私も歩くのがおっくうで、ちょっと街をぶらぶらしていただけでも、すぐ疲れてしまっていた。でも、こっちに出てきてからは何かと歩くことが多くなって、足腰が鍛えられた感じがする。地下鉄に乗っても、連絡通路は何百メートルもあるところばかりだし、横浜に住んでいたときはとにかく坂が多かったので。8時間立ちっぱなしのバイトなんていうのもけっこうやったし。 今は、そのおかげか、歩くことに慣れて、遊園地で1日中歩き回って遊んでいても、足が棒になることってあんまりない。家と駅との15分ずつの往復も当たり前のようにやっている。 歩いても疲れないようになったというのは、自分としては楽しみが増えた気がするのだが、一緒に歩く人にとってはやっかいなものらしい。このごろは私がマイペースで歩くものだから、相手を疲れさせてしまうまでになってしまったようだ。嫌われない程度に、休憩をはさみながら歩くことを心がけよう。 歩くことは楽しい。自転車や車で通りすぎるよりもいろいろなことが発見できるから。「あ、こんなお店、新しくできたんだー。」「紫陽花が咲いてる、もう梅雨なのねー。」なんて風情を楽しむこともできる。  私の実家は駅まで歩いて20分〜25分くらいなのだが、帰省すると母親が車で駅まで迎えに来る。たまに母が迎えに来れないときは、「タクシーで帰ってきなさい。」と言われる。でもタクシー代が惜しいので歩いて帰ると、驚かれ、変な顔をされる。「珍しい子ねー。」と。 地元民にもこの歩くことの楽しさを教えてあげたい。   

ひとつの夜

 夏の夜が好きだ。夏の夜、外に出て少し涼しい風に当たると、なにかちょっと心地よい胸騒ぎがする。  近所では、人々も遅くまで外を歩いている。Tシャツ姿で、サンダルで。そんな開放的な雰囲気が好きだ。  家々の明かりがまだ灯されてるのを見ると、安心する。浴室のそばを通ったのか、石鹸のいいにおいがする。台所で後片付けをする音が聞こえる。そこから家族の声が聞こえてくると、どうしようもないせつないような気分になる。それぞれの家に家庭があり、それぞれの生活を送っている、という当たり前のことが大切に思えてくる。  大切なものは意外と身近にあるものなのだろう。  

もし私がデリケートだったなら

 仕事も終わり、近所のスポーツクラブに行ってひと泳ぎしてきた。今日は時間がなかったのであまり泳げなかった。お風呂とサウナもついでに入ってさっぱり。 さあ、帰ろうかとスポーツクラブを後にし自転車を走らせたと同時に雨がポツリポツリと・・・。こういうとき、デリケートな人だったら雨宿りするか傘を買うんだろうな、なんて思いながらこぎすすめていった。雨はますます激しくなっていく。せっかく洗った髪がぁ〜!!そして全身ずぶぬれで帰途に着いたのだ。 途中暗くてよく見えず、危うくカエルをひきそうになってしまった。嬉しそうに道端に佇んでいた彼を踏まなくてよかった。ところでここに越してきて1年になるが、東京でカエルを見たのは初めてで、ちょっと感動・・・。