T調

さまよいながらじぶんなりにととのえる


月の光が照らす道

年末にバンドの演奏を聴いた。この時期に自然と足が向いて4年目となる。最初はCさんから誘われ、2022年のSMF(Sagan Music Festival)で11月に。佐賀城公園内のトラックのステージに立っていたのは、”Because We Can Feel the Moonlight” というバンドだった。

Vocal & Guitarの月光ワタル氏が月をモチーフに詞曲を書き、自ら歌う。
佐野マサル氏はGuitarでその世界を盛り立て、時にはブルース歌いに。
Aji氏はジャンベの無尽蔵の音、パーカッションやハーモニカ、コーラスでバンドに命を吹き込む。
音とリズムは月夜に照らされ、個の根が結ばれまばゆい調和を生み出す。時に寂しく切なく、時に強く激しい叫びに。自立と共鳴という言葉が浮かんだ。
信じているものがある、と思わせる3人の演奏にいつの間にか導かれている、と気づいた。

月光ワタル氏は想像以上に言葉の世界に生きていた。彼らの「音」が好き。そんな単純な言葉では片づけられないほど、つくり手たちは感覚を研ぎ澄ませ音、言葉、あらゆる思いを歌にする。こちら側からの視点。あちら側からは、本と言葉のある優しい景色が見えたようだ。「本」で繋がった。

「月」はわたしの第一辞書にはなかった。けれど、昨年の仕事で月の引力と潮の満ち引きの関係性を書くうちに、月について少し考えをめぐらせるようになった。追いかけては遠ざかる。照らされては雲に隠れて見えなくなる。自然科学であり文学・音楽的でどこか神秘的でもある。

連日心の中で鳴る音。きっとそれはわたしの光となって、これから進む道を照らしてくれるだろう。
12月27日のLIVE。一部と二部のたくさんの楽曲の中に、”Last Christmas” のフレーズがあったのを後から思い返す。虚しく荒んだ心に遅れて届くプレゼントのようでもあった。

チューリップ

2009年、TBSの放送で小田和正さんが主となり出演した「クリスマスの約束」を見て、初めてしっかりと財津和夫さんを認識した。「青春の影」のメロディライン、財津さんの骨っぽい声が響いてきた。言葉が歌に乗っていた。その歌詞に繋がれた最後のメドレー曲への映像も「バトン」の余韻を残した。しかし財津さんが活躍していた「チューリップ」についてはあまり知らない。親が好んで聴いていたのは「チューリップ」それとも「かぐや姫」「五つの赤い風船」だったっけな?という程度。

このところ、チューリップの姫野達也さんの声が忘れられないという投稿をネット上で読み、確かに「心の旅」は財津さんの声ではないし主張もわかる。心が明るくなるような華やかな声、アイドルがアイドルとして隆盛誇る、そういう流れに思いを馳せた。しかし、わたしはあのポイントでの財津和夫さんの声に心惹かれて今に至る。

1年を生き切る

27年前、50歳になった誕生月に父はこの世を去った。今日は命日。
もっと同じ時間を過ごしたかったと思う。
先日、26年を経て容疑者が逮捕された殺人事件の被害者遺族・高羽悟さんの、
「妻がどういう最期だったか、夫として知る義務がある」というコメントが報道された。
わたしも父の晩年や当時のことを知りたいという気持ちが消えず共感した。すい臓がんを患い手術後2年での急逝。年に一度くらいしか会えなかったし、もちろん最期にも立ち会えなかった。今でも父の知り合いに会って、少しでも思い出を話してもらえた時は、とても嬉しい。
そんな折、昔の市報さがに父の寄稿を見つけた。一市民としての42歳頃の文章。くせのあるものや手を動かすことへの愛着はDNA?応援してもらっているようにも思える。
来年、父の年齢に到達する。ただ漫然と過ごしてはいけない気がする。この1年を生き切りたい。

本音というのは直接問えない疑問でもある

今回は本音というテーマを本+骨と絡めて展示する。
メンバーとして関わる山口亮一旧宅トライアル活用の企画展に参加することに。

fwoomと自分の中では鳴り響くが、ストレートに言えないことは多いのかも。
でも建前ではなく、本音の中にこそ面白さがあるのでは。そんな問いが今回の展示となる。
頭の中にある多くのものを形にしてこなかった自分にとって、第一歩の試み。

1年ほど書かなくなっていたブログを再度始めます。
2024年までの「ぴりりふわり」のアーカイブも含め新ドメインに移しました。
“honnedico”。ホンエディコ、ホネディコとでも発音しようかな。

 今日は久々に近所のスポーツクラブのプールで泳いできた。会員料金を毎月払っているのにこの頃ずっと行ってなかったのだ。もったいないなあ。 小さい頃からなぜだか泳ぐことが好きだ。泳ぎながら水のチャプチャプという音を聞くのが好きだ。あと、あおむけになってぷかーんと浮かんでいるとなんとも言えない解放感が味わえて良い。 楽になりたいときには水に包まれることをお勧めします。

主観と客観

 このごろ、自分がとる行動が他人の目にどう映っているのか、気になりだした。自分では普通の行動をとっているつもりでも、他人から見ると奇妙な行動に思えることもあるらしい。奇妙なだけならよいが、たまに他人に不快感を与えているのでは、と心配になる。 主観的にものを考えてばかりいると、周りが見えなくなって、独りよがりの行動になってしまう。必要なのは、今行動している自分を観察することである。もう一人の自分が、今の自分を見つめているとしたら、もっと客観的に冷静に自分のとる行動が正しいかどうかを判断できると思う。 「汝の意思の格率が常に普遍的立法の原理として妥当するよう行為せよ。」―By.Kant

カンガエル

 お昼頃、雨がしとしと降っていた。出かけて家に帰る途中、大きなカエルを見つけた。雨の中じっとそこにとどまって何かを考えてるような顔つきである。私もじっと彼を見ていると、その色といい、形といい、なんだかこの世の物ではないような不思議な生き物のような気がしてきた。

もう秋

 今日は涼しい一日でした。2日前くらいには今年最高の気温だなんて言ってたのに。こんな日はなぜか小学校の運動会を思い出すなあ。秋晴れのさわやかな日、コスモスが揺れていた校庭。

兄妹

 兄が私の家のそばまで来たので、預かってた物を渡した。二人とも夕食がまだだったので、一緒にラーメンを食べた。用事はそれだけで済んだのだが、話がしたかったのか、兄はまだ帰る気配がなかった。それで、なぜかラーメン屋の後にマックに入り、二人でシェイクを飲んだ。 二人で顔を向かい合わせてしゃべるなんて、昔の私たちでは考えられなかった。小・中学生の頃は兄にはよく虐められ、殴ったり蹴られたりもした。私も兄もお互いのことが嫌いだった。 でも、こうして年を取ると穏やかな気持ちになるのか、いつのまにか普通に接するようになった。ただ今でも落ち着かない雰囲気は残っているが・・・。あんなに憎みあってた二人が今はこうして談笑してるなんて、気持ち悪い、とも思うのだ。 何はともあれ、正常なコミュニケーションをとれるようになったのは嬉しいことである。

みじめ

 昨日、朝起きたら、家の電話がかけられなかった。そしてパソコンを開いてもなぜかネットにつなげなかった。 こりゃー回線の故障だ!と思って、NTTに電話したら(携帯から)、故障の問い合わせの番号を教えられて、そこにかけろと言われた。でも家の電話は使えないし、どうしようか、と思いながら夕方になってしまって、アルバイトに出かける前にお風呂に入った。 シャワーを浴びながら、ふと思いついた。もしかしたら電話代払っていなかったのかも・・・、と。私の家では公共料金はほとんど引き落としにしていないのだ。そして、請求書を入れるカゴの中をひっくり返して探したら、あったあった「お知らせのハガキ」が!!「30日までに支払われなかったら、31日から電話の回線を停止します。」だって。 一夜明けて、NTTの営業開始と同時に支払いを済ませた。ホントに情けない気持ちだった。  郵便物にはきちんと目を通しましょう。公共料金の支払いは後回しにしないようにしましょう。